を出し、早々と花序を出し花を咲かせているものも多い。 りません。棒状の穂状花序がシバの花序を連想したのでしょうか、、、。 くようです。花序は、長さ7〜10cm。幅1.5cm。 年ではハイシバの変異内とする見解が支持されているようです。 直立するのに対して、父島のものは林縁に生育し葉と稈は斜上しています。 にあいやすい植物だろうと思います。 れています。
列島学術調査隊報告、1970年)71頁、尖閣列島採集植物目録(川下勉採集、初島住彦鑑定) による。
列島学術調査隊報告、1970年)72頁、尖閣列島採集植物目録(川下勉採集、初島住彦鑑定) による。
尖閣列島学術調査隊報告、1970年)74頁、尖閣列島採集植物目録(川下勉採集、初島住彦鑑 定)による。
布しています。
condensatus た,
島、屋久島、琉球列島に分布しています。 た。グンバイヒルガオの葉の中から花を咲かせていますので葉の形状を最初は間違ってしまいまし た。 頃から実の豆の莢が沢山見られるようになりました。 で旗弁(幅1.5p、高さ1pほど)・翼弁・竜骨弁からなり左右対称の黄色の蝶花です。 円形で先は少し尖ります。 群生します。
皮は灰色です。ガジマル・アコウのように枝からたくさんの根(気根)を出します。鳥が実を運ぶ ことから,他の木につき(着生)芽を出して大きくなり,着いた木を包み込んで締め付けのっとっ てしまうことがあります。雌株(めかぶ)と雄株(おかぶ)は別です。(撮影場所:那覇市立識名 小学校付近) る。 大学合同尖閣列島学術調査隊報告、1970年)76頁、尖閣列島採集植物目録(川下勉採集、初 島住彦鑑定)による。
閣列島学術調査隊報告)、1970年)70頁、尖閣列島採集植物目録(川下勉採集、初島住彦鑑 定)による。 ch2-trees/hamakusaghi.htm
る落葉低木ないし小高木。高さ2〜10m,多数分枝する。葉は対生し長さ5〜12cm,特有な悪臭が ある。花は初夏,がくは5歯,花冠は5裂し長さ8〜10mm,外面に腺毛がある。雄しべ4本。果実 は径3〜3.5mm。和名は浜にはえる臭木(くさぎ)の意。
学・長崎大学合同尖閣列島学術調査隊報告、1970年)77頁、尖閣列島採集植物目録(川下勉 採集、初島住彦鑑定)による。 は、このミズガンピのこと。
をぐねぐねとくねらせながら育つハマシタン(和名ミズガンピ)の大木群を見ることができる。群落 内には二十数本の老大木があり、大きな木では樹高3.5m、幹の周囲が2mもあり、樹齢数百年に及ぶ のではないかといわれ、町指定の天然記念物に指定されている。入口に案内板などはなく、場所が 少しわかりにくいので、島の人に尋ねてみよう。
い砂地に自生するものは大きく成長して群生する。 中国から渡来したとされている。 合同尖閣列島学術調査隊報告、1970年)71頁、尖閣列島採集植物目録(川下勉採集、初島住 彦鑑定)による。 をものともせずに大振りな葉を広げて花を咲かせる。 見える。 用にはならない。
theaceae/hamahisakaki/hamahisakaki.htm
theaceae/hamahisakaki/hamahisakaki.htm 葉は3cm前後でくさび型であり、互生する。ヒサカキとはイメージが異なるが、果実などを見れば、 近縁種であることがわかる。 用される。ハマヒサカキも海岸に生育することから、一時大量に植栽されたことがあったが、期待 されたほどの耐乾性はなかったようである。その後の研究によってハマヒサカキの生育立地は、海 岸ではあっても持続的な水分供給のある場所であり、期待はずれであった理由が解明された。その ように見ると、ハマヒサカキの生育立地は地形的にはややくぼんだ場所であり、持続的な湧水があ るような場所であったり、水道であったりする。 theaceae/hamahisakaki/hamahisakaki.htm 葉は3cm前後でくさび型であり、互生する。ヒサカキとはイメージが異なるが、果実などを見れば、 近縁種であることがわかる。 用される。ハマヒサカキも海岸に生育することから、一時大量に植栽されたことがあったが、期待 されたほどの耐乾性はなかったようである。その後の研究によってハマヒサカキの生育立地は、海 岸ではあっても持続的な水分供給のある場所であり、期待はずれであった理由が解明された。その ように見ると、ハマヒサカキの生育立地は地形的にはややくぼんだ場所であり、持続的な湧水があ るような場所であったり、水道であったりする。 lauraceae/hamabiwa/hamabiwa.htm
lauraceae/hamabiwa/hamabiwa.htm 面には毛が密生している。葉がビワに似ており、海岸に生育しているのでハマビワの名がついた、 ということになっているが、きょ歯がないことや、厚ぼったい点などビワとはかなり違った質感の 葉である。 共通点があるようには見えない。海岸という特殊な立地に対応したためなのであろう。
primulaceae/hamabossu/hamabossu.htm 帯に広く分布する。日本では北海道南部から西南諸島の海岸に普通に見られる。 あり、長さ2-5cm、幅1-2cm。葉は風などの環境条件が厳しいほど、厚くより密に付くように思う。 初夏に葉状の苞の腋ごとに1花をつけ、総状花序を成す。花は清楚で美しく、直径1cmほど。花序を 払子(ほっす:僧侶が使う法具のひとつ)に見立て、海岸に生えることから浜払子と呼ばれるが、 あまり似ているとも思えない。 ていた。多少なりとも節理を伝わって水が流れてくるのであろう。このように波打ち際ぎりぎりの 岩場にまで生育可能なのは、波の穏やかな瀬戸内ならではかもしれない。 と,インドで蚊などの虫や塵を払う具であったが,のち法具となり,中国の禅宗では僧がこれを振 ることが説法の象徴となった。日本でも鎌倉時代以後用いられ,浄土真宗以外ではすべて法会や葬 儀などのときの導師の装身具とする。(小学館の国語大辞典)というものです。
23;(至文堂・日本植物誌)787; L. S. B. 26: 285 (1888); Makino in B. M. T. 17: (146) (1903); Hayata, Ic. Pl. Form. 2: 12 (1912); Praeger, Not. RBNG Edinb. 13: 83 (1921); Raym.-Hamet in Candollea 4: 32 (1929); Nemoto, Fl. Jap. Suppl.: 278 (1936); Ohwi, Fl. Jap. ed. Engl.: 497 (1965); Hatus., Fl. Ryukyus: 301 (1971); H.Ohba in J. J. B. 52: 322 (1977), in Steenis, Fl. Males. ser. 1, 9(3): 559 (1982); K.J. (K.T.) Fu & H.Ohba, Fl. China 8: 247 (2001). 尖閣列島学術調査隊報告、1970年)70頁、尖閣列島採集植物目録(川下勉採集、初島住彦鑑 定)による
物のようでショーウィンドーなどのインテリアに使えそうですね。 億6200万年前の古生代からのDNAを今日に伝える現物として、ロマンを駆り立ててくれま す。 ク色が満開な桜の後にヒカゲヘゴが生い茂り不思議な風景だった。 (笑)ヒカゲヘゴの林の中を古代の気分でお散歩できます。
(千葉県以西)四国 九州に分布する。花期:4−5月。頂小穂は雄性で円柱形で棒状・茶褐色。 側小穂は雌性、太くて短く先端に雄小穂をつけることがある。
himegama/himegama.htm 本。ガマに比べて沿岸域に多く、内陸部には少ない。沿岸平野の放棄水田やため池の湖岸などの沼 沢地に生育する。高さは2m程になり、ガマとほとんど変わらないが、葉は細く、幅は1cmを越 える程度である。細い葉で立ち上がるためには葉はガマに比べてより強いことが必要であり、堅い のでガマ細工には適していない。和名はガマに比べて葉が細いことに由来する。 群が5cm前後離れている点はガマやコガマとの簡単な区別点である。上部に付く雄花群は花が終わ ると脱落するが、花軸は長く残っており、雄花の不着痕から花穂群が離れていたことは確認でき る。 分かれる。匍匐茎の腹葉は卵形の鋭頭〜鈍頭、細鋸歯縁でやや密に開出してつく。背葉は狭卵形の 鋭尖頭、細鋸歯縁で先端は長く伸びて反りかえり、交互にまばらにつく。直立茎の主軸は太く、ま ばらに側枝をだして葉をつける。胞子葉は、腹側のものは小さく先端が細長く伸び、背側のものは 大きく鋭尖頭となる2形で、先端に胞子嚢穂を頂生し、他の部分と区別できる。匍匐茎は晩秋に紅 葉する。低山のやや向陽の斜面や石上でマット状になる。
学合同尖閣列島学術調査隊報告、1970年)71頁、尖閣列島採集植物目録(川下勉採集、初島 住彦鑑定)による。
。
宮様は船で、この島へも御立寄りになりましたので、青島神社の背後、大海に面した東の岸に7,8本 の蒲葵の木を伐って平地を作り、蒲葵を柱とし屋根とした、御休息の四阿屋が建てられてありまし た。島の永遠の眉目として、この樹は 構せられた檳榔の長穂宮というのも、はるかな年代を隔てて、相似たる国人の心づくしを語るもの のごとく思われ、かつ民風の久しく伝わること、かくばかりであるかと驚いたのであります。 末濃にして帖は繧繝縁、榻に金銅の金物というような花やかなる装飾をもって、淡白なるコバの葉 の光りが潤色せられたと言います」 です。最も最初に、字音をもってこれを呼んだのではなく、別にアジマサという語がありました。 たとえば檳榔之長穂宮と書いてアジマサノナガホミヤ、大山下狭井連檳榔と書いてサイノムラジア ジマサと唱えていたのでありますが、しだいに漢字に親しくなって牛車の行われるころには、大か たの者がこれをビロウ毛の車と言うようになり、したがってこの木もそう呼ぶようにいたったもの とみえます。」 び保護に参与していたらしいことであります。(略)南九州の各地においても、今日蒲葵の存在す る場所は、若干の人家邸内を除きましては、他はほとんどみな神の社の地であります。(略)日向 の青島にも権現の社あり、彦火々出見尊と仰がれています。」 して始まるべきものではありません。これは何か今一つ前の代から、その根ざしになった古い生活 の法則があったのではありますまいか。 事はおよそ三つの場合を想像させます。すなわち当時はあの国の海にも蒲葵島があったか。 て葺きかつ囲われてあったか。あるいはまたその宮をかく称えるだけの別の理由、たとえば管など をもって白々と美しく清らかに屋根を蔽うて、人をして長くこの植物の名を記憶せしめたのか。 木であったのであります。」 柄は背面の丸い三角柱状で左右に陵がある。葉は白茶けた緑色で円形に近い先の方が垂れ下ったも の多い。この葉で扇を作ったり編んで笠にする。 円錐花序を出し小さな花をたくさんつける。果実は楕円形又は倒卵形、長さ1.5cm、冬、青磁色に熟 す。幹は丸太のまま床柱に使用され、また弓、矢にも使用される。 」
やスイカズラのように,美しくもなければ,匂いが良いわけでもない。 木にからまり,覆い被さるように咲くフウトウカズラの花には,どこか不気味な雰囲気すら漂って いる。 い。葉はハート形で,雌株の葉はほぼ円形,雄株の葉は少し細長く楕円形に近いが,その先端は尖 っている。
株 等の樹木にからまり生長繁茂する。その結果,時には自分がからまっている樹木を枯らしたり,陽 射しを遮りなんとなく暗いイメージがあるため,つる性植物を毛嫌いする人も多い。 ち枯れているのが目立つようになった。どうやら,つる性植物から樹木を守り,公園を明るくする ため,ご本人は正義感のつもりで誰かが切断しているようだが,私は自然界のバランスを破壊する 行為のように思えてならない。
らかといえばオサランに近いように思われます.リュウキュウセッコクの変種がフ シナシオサランといわれているぐらいです.真夏の7月頃に純白の小花を稲穂の ようにたくさん咲かせます.もともと自生地が極めて限られている上に森林伐採に園芸採取にと人 間にいじめられ続け絶滅の有力候補となっているそうです.幸いにもデンドロビュウムの仲間は無 菌培養も比較的容易で成長も早いことから人工増殖の動きもあるようですが,なかなか自生地の減 少は止まらないようです. どが豊富にあってねぇ。大学2年までは植物に興味がありましたので、早速採集しました。
オ)から転じたものと云われている。 したものが残るのみである。フトモモは湿り気がある土地を好むようで、山中の谷間や川沿いで見 つけることが多い。 モモの名は中国名の蒲桃(プータオ)が由来。 立つ。果実は夏に黄色く熟し、径4cmほど。味は薄いがバラのような芳香があって食べられる。この ことから、英語名はローズアップル(Rose apple)という。 レユニオン島、ガラパゴス諸島、そしてオーストラリアと中米の一部で野生化して問題となってい る。
尖閣列島学術調査隊報告、1970年)75頁、尖閣列島採集植物目録(川下勉採集、初島住彦鑑 定)による。
のお化けのような植物を見つけることができる。いわゆる「ヘゴの木」である。 る。 の木」が見られる。 が中には10mほどもあろうかと思われる大きなヘゴの木も見られる。 木道を作ったらどうか。 のではないか。 を感じさせる象徴的な存在として見直すべきではないかと思う。 閣列島学術調査隊報告、1970年)67頁、尖閣列島採集植物目録(川下勉採集、初島住彦鑑 定)による。
典拠:自然環境の保全に関する指針 八重山編
「自然環境の保全に関する指針 八重山編(陸域)」 各々の地域における「すぐれた自然」の概
況
http://www.pref.okinawa.jp/okinawa_kankyo/shizen_hogo/hozen_chiiki/shishin/yaeyama_hozen_
shishin/yaeyama_riku_shizen2.html#47
取得日 2008/07/13 19:56:17
「南・北小島の草地植生」は、島の山頂部にかけての斜面に出来た草地で、ヘンリーメヒシバ、ハ
マダイコン、ハママンネングサ、ギシギシ、ハマボッス等により構成されている。
学・長崎大学合同尖閣列島学術調査隊報告、1970年)77頁、尖閣列島採集植物目録(川下勉 採集、初島住彦鑑定)による。 合同尖閣列島学術調査隊報告、1970年)68頁、尖閣列島採集植物目録(川下勉採集、初島住 彦鑑定)による。
compositae/hosobawadan/hosobawadan.htm 海岸の岩場などに生育する。太い木化した根茎があり、地表面にロゼット状の葉を広げる。図鑑の 記載によれば、葉はさじ状の長楕円形から線状長楕円形とされているが、長楕円形のものと羽状に 深裂した葉の2形がある。花茎は太い根茎から分かれて立ち上がり、花茎につく葉は細長いおむす び形。花は10月から11月にかけて咲き、ニガナによく似た黄色い花を頂端に次々と咲かせる。 compositae/hosobawadan/hosobawadan2.htm ることができた。なんともすごい根茎である。葉の付着跡があるので、画像に写っている部分は茎 とするのが正しかろう。この茎の先端から根出葉が出ているが、羽状に深裂した葉のものと、さじ 形の長楕円形のものとが生育していた。図鑑では、すべて長楕円形となっており、羽状深裂の記載 がないが、どうみても同種の変異のように思える。葉の形がこのように大きく変化することはよく あるが、若い個体と成熟した個体というわけでもなさそうである。牧野植物図鑑には、「葉がボロ ギクににた羽状に深く裂けるものをソテツナ var. pinnatiloba Mak.という.」と記されており、 このようなタイプのものかもしれないが、生育状況から見れば同種内の変異ではないかと考えた い。 compositae/hosobawadan/hosobawadan.htm compositae/hosobawadan/hosobawadan2.htm
に招聘されて現延岡市・日向市・東西臼杵郡の藥草を調査した記録であるが、その記述は藥草だけ に止まらず自然史・人文史の多方面にわたっており、当時の宮崎(日向)を知る貴重な資料である。 この点に着目した宮崎県総合博物館(柳宏吉館長)は、人文科学・自然科学の両面から調査研究を進 め、1971年11月から12月にわたって特別展「賀来飛霞著高千穂採薬記の周辺−日向の民俗−」を開 き、県内外から高い評価をうけた。その折に手掛けた採薬記植物目録は800種を越えていたが、漢名 や方言名などに不明なものがかなりあった。それらを引き続き検討した結果1008種が俎上に上がり 「賀来飛霞高千穂採藥記植物目録6)」ができた。その目録を一部訂正し、植物民俗関係を紹介した ものが「高千穂採藥記の植物民俗9)」である。 として歴史民俗分野の参考資料として作成したものであった。記録された植物名は自生植物・栽培 植物・文献引用植物等と他岐にわたっており、重複記載がかなりみられた。例えば松・松樹・日向 松はいずれもアカマツであるが目録には別々に記載してあった。またウヅ・第四種一種草・第五種 一種草・繖花一種はすべてイヌトウキ(ヒュウガトウキともいう)のことである。 作成した。その結果、確認し得た植物種の総数は842種で、その内訳は自生植物688・栽培植物124・ 文献引用植物30である。なお種名不詳のものは19であった。 睦之(むつゆき)、字は季和、飛霞(ひか)はその号。豊後(ぶんご)国西国東(にしくにさき)郡高田(た かだ)に生まる。父賀来有軒は本草を修め医を業とした。2歳で父を失い、杵築藩の母の生家で育 ち、のち日出(ひじ)藩の帆足万里(ほあしばんり)に儒学を学び、19歳で豊前(ぶぜん)国宇佐(うさ) 郡佐田(さだ)村で本草と医術を研鑽。25歳で江戸に出て奥羽・北陸・伊豆を歩き千数百の植物を採 り、天性の才をもって写生した。のち京都にて山本亡洋から本草を学ぶ。江戸末期から明治にかけ て、伊藤圭介・飯沼慾斎と並び、わが国の三大本草家と称された。1804年(天保11)ごろ、日向・大 隅に遊び霧島山に登る。1845年(弘化2)3月10日から5月11日まで延岡藩に招かれ、藩領内の薬草の採 集を行い『高千穂採藥記』を著した。1847年(弘化4)島原藩主の侍医となり、1857年(安政4)佐田に 帰る。1876年(明治9)には小倉県の管内物産の調査。1878年(明治11)伊藤圭介の招きにより東京帝国 大学小石川植物園に勤務し、「日本植物図譜」などを出版してわが国近代植物学の基礎を築いた。 1882年(明治15)東京植物学会の創立に参画し、牧野富太郎やアーネスト・サトウなどとも交際があ り、英国植物学会にもその名が知られた。伊藤圭介は東大教授・男爵となり、飯沼慾斎も贈位され たが、賀来飛霞にはそうした名誉はなく惜しまれてならない。 著。著者が延岡藩の招きにより1845年(弘化2年)3月6日豊前(ぶぜん)国字佐(うさ)郡佐田(さだ)を出 発し、3月10日延岡到着以降各地を採薬し、5月15日前記佐田の実家に帰省するまでの全紀行文。採 集地は、方財、丸ケ島、東海、川内、松瀬、黒木、宇納間、立岩、諸塚山、七ツ山、家代、鬼神 野、渡川、神門、水清谷、田代、八重原、山陰、新町、古川、門川、土々呂、伊福形、稲葉崎、下 舞野、曽木、水原、鳥屋平、八戸、新町、楠原、中川、綱之瀬、八峡と広範囲に亘っている。その 間に確認した植物は842種に及び、県内の精細な植物目録として最初のものである。また本書は薬草 のほか考古、歴史、民俗、美術、自然科学など全般について記述されている。その全体に流れてい る「実証的科学的態度」と、「与人交謙譲不問貴賤長幼」の人となりは、観察見聞の内容を一層多 彩なものにしている。原本は賀来家から宮崎神宮に寄贈されたものが、現在宮崎県総合博物飽の所 管するところとなっている。さらに賀来家には精巧写生図2000枚が秘蔵されており、その中に本書 に関連のものが多数含まれている。 自生していたものであろう。ボウフウの仲間は他にハマボウフウが沖縄の海岸端に自生している が、本家のボウフウは無いようである。参考にしているどの文献にも記載が無く、耳にしたことも 無い。この3種のボウフウ、いずれも薬用となる。 長命草という意、薬草としてだけでなく、野菜としても食される。沖縄名物ヒージャー汁(山羊 汁)に、本島ではフーチバー(ヨモギ)を入れるが、渡名喜や宮古、八重山辺りではサクナを入れ るらしい。刺身のつまにも使われる。 &srt=
江流域 山野に分布する。開花周期は60年〜120年。多般竹、鹿児島ではコサンダケ(小桟竹・虎山 竹・五三竹)と呼ばれる。 れが七福神の布袋の膨らんだ腹を連想させることから布袋竹と名付けられた。 ホテイチク製の釣り竿が外貨獲得の花形だった時期がある。 稈は他に若竹の幹を破って薄い内膜を 鳴らしてググ竹と呼んで子供の玩具にした。 で食べられる。 でホテイチクよりも太い。 できる。
DB%A5%F3%A5%B4%A5%A6%A5%BD%A5%A6
triuridaceae/honngousou/honngousou3.htm honngousou/honngousou3.htm
|