座礁した鉱石運搬船STOIC号(1) August 19, 1979 座礁した鉱石運搬船STOIC号(2) August 19, 1979 参考書籍 日清講和条約 1895年4月中国・台湾が日本の尖閣領有の無効を訴える一つの理由に、1895年4月17日に成立した 日清講和条約(下関条約)がある。この講和条約の第二条を口実に、尖閣は中国から切り離されたと言うのである。 本当であろうか?日清講和条約第二条をここで見ていただきたい。第二条の第一項では遼東半島、第二項では台 湾、そして第三項には澎湖列島の各領域が日本に割譲される旨が書かれている。しかし、尖閣諸島については一 切言及されていないのである。 田中邦貴「尖閣諸島問題」より 台湾当局が1955年に発行した公文書 台湾当局が1955年に発行した公文書の中で、尖閣諸島を沖縄群島の一部と明記している。台湾当局は戦後、中国 政府と同様、領有権主張の有力根拠として同諸島が沖縄群島ではなく台湾周辺の島嶼の一部と主張しており、公 文書の存在はこの矛盾を浮き彫りにする貴重な資料として注目される。 日本名 中国名 面積(平方Km) 魚釣島 釣魚台 3.82 久場島 黄尾嶼 0.90 大正島 赤尾嶼 0.06 北小島 日本名と同じ 0.31 南小島 ” 0.40 沖の北岩 ” 0.05 沖の南岩 ” 0.02 飛瀬 ” 0.01 ※5つの岩礁には中国名は無く、 中国側は日本と同じ名称を使っている。 田中邦貴「尖閣諸島問題」より 魚釣島の謄本(?) 出典:検証!尖閣諸島の歴史琉球朝日放送2004年 03月30日(夕)より 古賀氏の魚釣島払い下げののための推薦書 国立公文書館 出典:検証!尖閣諸島の歴史琉球朝日放送2004年 03月30日(夕)より 中華民国駐長崎領事が沖縄県石垣村村民に贈った「感謝状」。 富田孫周の所持する中華民国長崎領事の感謝状 出典:検証!尖閣諸島の歴史琉球朝日放送2004年 03月30日(夕)より 出典:産經Web96.9.23 感謝状の中で魚釣島のことを「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島」と 中華民国八年(大正八年)の冬、中国の福建省恵安県(現、泉州付近)の漁民、郭合順氏ら三十一人が遭難。 尖閣列島(和洋島=魚釣島)に漂着した。石垣村の玉代勢孫伴氏(後の助役)が熱心に看病し、 全員を生還させたことへの感謝状で、玉代氏の子孫がこれを保存していた。 感謝状は玉代勢氏のほか、石垣村長(当時)の豊川善佐氏、古賀善次氏、与那国島出身の 通訳で女性の松葉ロブナストさんら計四人に贈られた。現存するのは、玉代勢氏あてのものだけで、 同氏の長男、冨田孫秀氏が今年一月、自宅に飾っていたものを石垣市に寄贈した。 秘別 第133号 中国側の動き 資源開発 オレンジ色の炎を上げる中国の平湖油田。 下は支援船「兵海281」 中日社機「おおたか2世」から 「踏み越える中国船資源調査 日本は黙認」より 進展する中国の東シナ海石油開発と海洋調査平松 茂雄 「中国・沿岸海洋資源(ガス・石油)の開発状況」より 活発化する抗議運動 尖閣諸島に中国船 読売新聞2003.10.10 海保レポート2002−3 尖閣上陸を目指す台湾魚船団と海上保安庁の巡視艇 第11管区海上保安本部 尖閣諸島を巡る出来事 http://www.kaiho.mlit.go.jp/11kanku/03warera/chian/4tk/4tk-2p/4tk-2p.htm 昭和53年4月、日中平和友好条約締結に向けた交渉が行われている中、突然、約100隻の中国漁船が尖閣諸 島に接近し、領海侵犯、領海内不法操業を行うという事件が発生しました。 台湾聖火リレー船領海侵犯事件 平成2年8月、尖閣諸島の領有権を主張するために、「台湾地区スポーツ大会」の聖火リレーを行っていた台湾船2 隻が、魚釣島周囲の領海内に侵入するという事件が発生しました 聖火リレーを行う台湾船 台湾船に退去勧告を行う巡視艇 平成8年 平成8年7月、国連海洋法条約が我が国について発効したことから、排他的経済水域の設定に伴う漁業活動への 影響を不満とし、また、尖閣諸島北小島に日本の団体が灯台の用に供する構造物を設置したことに対する抗議とし て、台湾・香港等で「保釣活動」と呼ばれる領有権主張の活動が活発になりました。 9月には香港から出港した抗議船が領海内に侵入し活動家数名が海に飛び込み、1人が溺死するという事故が発 生しました。 10月には台湾・香港の活動家等が乗船する小型船41隻が領海内に侵入するとともに、4人が魚釣島岩礁に上陸 しました。 ・平成9年 平成9年5月には、30隻の台湾抗議船等が尖閣諸島に接近し、そのうち3隻の抗議船が警告を無視して領海内に 侵入し、その際、活動家2名が巡視艇に飛び移るという事案が発生しましたが、全船を領海外へ退去させ、不法上 陸を防止するとともに、関係省庁の判断に基づき、この2名を台湾抗議船に引き渡して強制的に退去させました。 さらに、7月にも、1隻の台湾抗議船が尖閣諸島の領海内に侵入する事案が発生しました。 警備中の巡視艇に接近する抗議船 巡視艇に飛び移り、取り押えられる活動家 平成10年 平成10年6月には、香港及び台湾の抗議船等6隻が尖閣諸島領海付近に接近し、このうち香港の抗議船「釣魚 台号」と同船から降下されたゴムボートが、領海内に侵入するという事案が発生しました。 その後、領海外に退去させられた「釣魚台号」は、遭難信号を発信し、乗員は付近の台湾抗議船及び巡視船に救 助されたものの、「釣魚台号」には人為的原因によると思われる浸水が発生しており、海上保安官が、応急的な漏 水防止措置等を施しましたが、しばらく漂流した後、荒天等のため魚釣島付近海域で沈没しました。 領海内侵入した抗議船を規制する巡視船艇 抗議船機関室内の浸水箇所を調査する海上保安官 尖閣島沖中国船が調査再会 出典:琉球朝日放送2004年 05月12日(夕) 出典:アサヒコム3月24日-2 アサヒコム3月24日- 出典:第11管区海上保安本部 抗議船領海進入 琉球新報980624 人民日報? 西村眞吾議員のホームページ 「尖閣諸島上陸」 「平成9年5月 日本国領土である尖閣諸島魚釣島に上陸」 国会議員として初めて同島を視察。 尖閣諸島全景 5月5日深夜に石垣島を出港、よく6日朝に魚釣島へ。4.5トンの小型漁船では命懸けだ。 西村議員の上陸を制止する海上保安庁 上陸目前 上 陸 上陸報告 国旗掲揚 尖閣諸島の鳥たち かつて日本に何百万羽も居たといわれたアホウドリ 絶滅が心配されたが、鳥島で10羽が発見されその後の努力により、 2000年には1000羽を超えた。 かつて何10万羽といた尖閣諸島でも発見され、 南小島に180羽。北小島に4羽生息が確認されている アホウドリを確認 琉球新報 001.05.04 朝日新聞 2001.04.10 南小島 後ろは北小島 出典:沖縄テレビ 琉球新報 2002.03.13 明治30年頃 南小島にいたアホウドリ 下の写真は尖閣のものか鳥島のものかは不明だが参考のため引用した 出典:アホウドリ復活への軌跡02 出典:アホウドリ復活への軌跡03 出典:アホウドリ復活への軌跡04 出典:アホウドリ復活への軌跡05 アジサシは南小島・北小島の両島に今も多くすむと云われている 中国・沿岸海洋資源(ガス・石油)の開発状況 http://www.iijnet.or.jp/IHCC/seiiki-jukei-city-map01-gas07-kaiyo01.html
|