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沖縄県師範学校教諭。黒岩恒の論文「尖閣列島探険記事」には、明治十八年(一八八五年)九月十四日付で、沖
縄県美里間切詰め山方筆者大城永常が、県庁にさしだした報告書を引用しているが、それには、「魚釣(よこん)島 と申所は久米島より午未の間(南々西)にこれ有り、島長一里七、八合程、横八、九合程、久米島より距離百七、八 里程」とある。この島は、位置と地形から見て釣魚島であることは明らかだが、そうだとすれば、琉球ではこの当時、 漢字では中国語の釣魚島を日本語におきかえた魚釣島と書き、琉球語で「ヨコン」とよんでいたことになる。また同年 九月二十二日付で、沖縄県令西村捨三が山県内務卿に上げた上申書(註)は、「久米赤嶋、久場島及ビ魚釣島ハ、 古来本県ニ於テ称スル所ノ名ニシテ……」という。この久米赤嶋は中国文献の赤尾嶼、久場島は黄尾嶼であること は後文で資料をあげる。魚釣島は釣魚島である。
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各地名について
(1) 関係する人物の名が多く付けられています。
奈良原岳:当時の奈良原繁沖縄県知事の氏名から。
安藤岬:沖縄師範学校安藤喜一郎校長の氏名から。
道安渓:八重山島司野村道安の氏名から。
佐藤水道:永康丸の佐藤和一郎船長の氏名から。
(佐藤水道は北小島と釣魚嶼とのあいだの西よりの水道です)
永康礁:古賀辰四郎氏が尖閣諸島調査のために用いた大阪商船会社汽船永康丸の船名。
(2) 沖縄独特の呼び方
東岬:アガリサキ
西岬:イリサキ
(3) 南小島
伊沢泊:伊沢弥喜太
(伊沢氏は明治二十四年に漁民とともに石垣島から魚釣島と久場島に渡航している)
新田の立石:黒岩氏の同僚新田義尊の氏名から。
の特使派遣を ![]() ![]() ![]() 上図の左端の斜めに細い入り江があるが、ここが古賀氏が作った船着き場と思われる。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
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